目が見えないことは悲しいけれど

本日のコトダマ

「目が見えないことは悲しいけれど、

 見える目で何も見ないことは、

 もっと悲しい。」

ヘレンケラーさんの言葉です。

1歳半の時に高熱が原因で視力と聴力を

失っても、前を向いて様々な活動をされ、

多くの素晴らしい言葉も残されてる方です。

私の目は見えています。

それ自体、目が見えない方も多くいる中では

とても幸せなことだと思います。

では、自分はその目で、

何を見ているのでしょうか?

多くのことを見過ごしたり、

見なかったことにしていないでしょうか?

本当は見えているのに、

見ていないようなことに、

なっていないでしょうか?

自分が何を見ているか?

ヘレンケラーがどんな意味でこの言葉を

言われたのかはわかりません。

この言葉から私が考えさせられるのは、

色々ありますが、やっぱり思うのは、

自分の大切な人のこと、家族や仕事の

部下の人達の様子や表情等を、

自分はどこまで見れているのかな。

という事です。

忙しやを理由に、自分に余裕がないのを

理由にしっかりと見ていないこと、

見えていないこと、たくさんあるような

気がします。

見えていて、薄々感じていても、

自分自身が行動せずに状況を悪化させて

しまうこともあります。

上司として部下を持って本当に思うことは

人はその感情が、仕草、表情、行動等に

本当によく現れるということです。

少し浮かない顔をしている事、

動きが少しいつもと違うこと、

その人の心の状況や感情の状態を非常に

よく現していると思います。

でも、自分自身がどこまでしっかりと

見れて、どこまでしっかりと認識できて

いるかと言うと、出来ていない事が

多いな。と感じてしまいます。

注意深く見ていれば、観察していれば

気がつけたこと、感じられたことを、

しっかりと見れていないことで、

状況を悪化させてしまっていることが

沢山ありますね。

全てを完璧には出来ないことは

分かっていますが、でも気づけるように

なりたいと思っています。

自分自身もそうやって気にかけてくれた

ことで何度も救われてきたし、元気や

勇気をもらったことがたくさんあります。

それがすごく有難いと思ったし、

自分自身も誰かにそう出来たらいいな

と思います。

日々、忙しいですが、それを言い訳にせず、

しっかりと目を開けて、自分にとって

大切な人達をしっかりと見て、

今日も過ごしたいと思います。

今日も今の自分のベストを尽くします。

読んでいただきありがとうございます。

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