何が起きたかではなく、どう受け止めるか?

本日のコトダマ

これは自分がまだ営業現場にいた時の話です。もう8〜9年前の話になります。当時は今よりも(ひょっとしたら今も)労働時間や管理に少し緩やかで、その時も日曜日に会社に行っていました。現場の時代は忙しさと、数字のプレッシャーにかまけて、仕事にいく事で精神衛生が保てていたような気もしています。今振り返るともう少し違ったアプローチがあったな〜、なんて思いますね。

そんなある日曜日のお昼、お腹が空いたので、会社の近くのスーパーに弁当を買いにいきました。確かカツ丼弁当だったと思いますが、食べたくなってそれを選び、会社に持って帰り、さあ食べようとした時のことです。割り箸がちょっとおかしいのです。

割り箸が一本しかないのです。これ意味わかりますか?伝わりますかね。普通割り箸は2本が一つになっていてそれを割って(離して)2本にして使いますよね。それが1本しかないんです。スーパーのレジで貰ったものでちゃんとビニールの専用の袋に入っている、よくあるやつなんですが、その袋の中に1本しかないんです。

その時に私はどう感じたか、まずは怒りにも似た感情でした。

「日曜日に会社に出て、こんな事が起こるのか、これじゃ食べれないじゃないか・・・ついてない」

なんて思っていたと思います。

それからしばらくどうやって食べようか、この一本を折って2本にして食べようか、なんて考えているうちにふと思いました。

今までこんな割り箸を見たこともないし、聞いたこともない、この割り箸を手に入れた自分はひょっとするとメチャクチャラッキーなんじゃないか・・・すごいことが、奇跡みたいな確率の事が自分に起こっているんじゃないか・・・ってなんだかそう思ってきたんです。

そう思い始めてたらさっきまでのネガティブな感情は途端に消えて、なんだか誇らしいような、体が熱くなってくるような感情が湧いてきたことを覚えています。それからその割り箸は自分の宝物になり、常に自分の机のペン立てに刺さっていました。ちょっと元気がなくなったり、苦しかったりした時に、その割り箸を手にして、「これは幸運の割り箸だ、これを持っている自分にはきっといいことが起こる」なんて、おまじないみたいに使っていました。

ちなみにその年は私の12年間の営業現場生活の中でも最も良い成績の年となり、後から考えれば、自分の転機となった時だったような気がします。その「幸運の割り箸」はその後転勤を繰り返す中でも私のペン立ての中に常に一緒に存在し、私が営業現場を離れる際に、当時の直属の部下に引き継がれる形で今も部下の机のペン立てに存在しています。

私にとっては、物事の見方を変えることで世界が違って見えることを実感した貴重な、忘れられない経験です。何かの都度思い出したり、今も話す機会も多い話です。

同じ現象でもどう捉えるかで全く違った現象になる。することができる。目の前に起こる全ての事がものすごい奇跡みたいなことにできる、って事ですよね。今日も頑張りましょう。

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